update:2025.06.27
広告やデザイン、クリエイティブに関わるひとたちの間で
良くでる話題。
「デザインに正解はないからね。」
これ、一度は口にしたことあるんじゃないでしょうか?
ぼくも、何度もこのフレーズにふれてきました。
よくお客さんやそれこそデザイナー同士でも出る
この伝家の宝刀のような「正解はない」。
なんとなく、真髄に触れてる感や卓越した境地のように
使われているけど、ぼくは違和感のある言葉なんですよね。
では、具体的に取り上げるとします。
例えば、あるポスターのデザイン依頼があったとします。
コピーは決まっている。そしてポスターのトーンもある程度は決まっている。
ここで言うところのトーンとは、クライアントだったり、イベントだったりの
「らしさ」「○○っぽさ」というイメージです。
さぁ、イラストなのか、グラフィックなのか、インフォメーションデザインなのか、
表現の方向性は何通りもあります。モノクロ、カラー、では印刷はどうなのか?
紙は?特色は使う?色々な表現があります。
では、これを決めるのってなんですか??
「わたしの得意な表現はこれだから」
「せっかく予算もあるし、こんな作品にしてみたい」
「自分の実績になるデザインをしたい」
そういったなかで、最終的に出てくる言葉が
「いい感じじゃん!デザインに正解はないからね。」
これでは、悲しすぎます。
とてもプロの仕事とは言えないんじゃないでしょうか?
もし、「正解はない」という言葉を自分を守るために使っているとしたら
それは、プロの言葉ではありません。
色々な表現があるなかで、そんな博打のような表現をしていても
そのデザインに再現性がないからです。
理屈っぽいかもしれませんが、ぼくは「正解はない」にはこう答えます。
「答えはある」と。
経験を積んだものなら、「答えありますか?」「デザインに正解ありますか?」なんて
食い下がってくるかもしれないですが、あるんです。
これは、精神論でもなんでもなくて
正確に言うと「正解や答えはいくつかある」ということです。
目的があるならそこにたどりつく道はいくつかあるように
「答えはいくつかある」が正解です。
では、その答えのなかからベストな答えは探せますか?
それは、なにがベストだったかは結果論になってしまいますが
いくつかある答えを選べたら、経験上、ある一定の効果をあげることが出来ます。
それが、プロとしての再現性だからです。
ひとつとても重要なことですが
「正解はない」というひとにかぎって、「いくつかある正解にさえたどりついていない」ことが
多いんじゃないかな?なんて思います。
これは、無理もないことで最初から「正解はない」と思っているひとの仕事は当たるか外れるか
という目線になりがちだからです。
少し話しがそれるかもしれませんが、
ぼくはプロポーザル(競合)などは好きなほうですが、とても難しい仕事だと理解しています。
それはやはり、競合先は間違いなく「正解」を出してくる中、一定の基準をクリアした「正解」でさえ
採用されるのは1つだけだからです。
そこには色々な要素、運不運もあるかもしれません。
「正解」の中から選ばれてふるいにかけられた「正解」という意味では
プロポーザルの「正解」を勝ち取るということはこの上ない喜びであることは確かです。
ただ・・・虚しさも感じるんですよね。。
プロポーザルと違い、提案は大好きだし得意です!
しっかりとしたロジックで相手の要望や課題に対して
方向性を示すことができるし、集まってきた「正解」の中から選ぶのではなく
この「正解」はこうです。こちらの「正解」だったらこうなります。と
しっかりとした提案や「正解」は選ばれるのではなく、一対一の告白のように
「YESかNO」のシンプルなコミュニケーションだからです。
むかし、ねるとんという番組がありましたが
何人か並ぶ女性陣に対して、ひとりが意中の女性のもとに行き
花を差し出し告白をすると、「ちょっと待った!」と次からつぎへと男性陣が集まる
そりゃ、ひとによっては悩むんでしょうね。
悩んだあげく、全員にむかって「ごめんなさい」。これが答えじゃ悲しすぎる・・・
まぁ、この話しをデザインに置き換えるのはちょっと強引でしたね・・・
当時、この番組に本気で出演したいと思ったのは内緒です。
最近、コンペ落として落ち込んでいたのも内緒です。
牛乳寒天作ったのにいっこうに固まらないままだったのも内緒です。
冷蔵庫でいまだサラサラです。。
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